不可説不可説転

早く人間になりたーい

怒りと悲しみの先にあるもの 『インクレディブル・ハルク』

怒りに呑み込まれるか心拍数が200を超えると、緑の肌の巨大な怪物「ハルク」になる。

 

ハルクになったら最後、我を失って暴れることしかできなくなる。力の限り暴力を尽くす姿はとてもではないがヒーローとは思えない。よくてアンチヒーローだ。

 

天才物理学博士であるブルース・バナーは、米軍から放射線耐性を測定するという名目で依頼された実験を、自ら被験者となって行い、ガンマ線を浴びた。その裏に潜む権力者の醜い欲望など知る由も無かった。

そして実験は失敗に終わる。

ガンマ線の影響でハルクに変身してしまい、暴れ、恋人であるベティすら傷つけてしまったのだ。

彼は人と生きていくのが困難な存在となってしまう。さらにはハルクの力を手に入れてそのうえ事故を隠蔽ようとする、アメリカ陸軍のロス将軍に追われることになる。

 

それなりに順風満帆だったバナーの人生は、こうして幕を閉ざされる。

 

……と、いきなり暗いムードが漂ったが安心してほしい。上記の悲劇は冒頭5分の素早いカットバックによって即終了する。じゃあ残りはなにかというと、圧倒的パワーを持ったハルクのアクション!アクション!!アクション!!!(と、バナーの逃亡劇)である。

そしてアクション三昧だから大味な作りだろうと舐められがちな本作であるが、実は非常に繊細な演出によって支えらている。ハルク大暴れの裏にはちゃんと、バナーがいかなる変遷をたどってヒーローとなったのかが丁寧に語られているのだ。

 

「ハルクは観なくていいよ」という声も度々聞こえてくるが、そんなのはもったいない。

まずは僭越ながら、わたくし前中のおすすめポイントに耳を傾けていただきたい。


フランケンシュタインの怪物とハルク

前中が醜い怪物と聞いてすぐに思い浮かべたのはフランケンシュタインの怪物である。

原作コミック『超人ハルク』を生み出した脚本家、スタン・リーは『フランケンシュタイン』と『ジギルとハイド』を参考にしたとインタビューで答えたので納得だ。

 

超人ハルクにはフランケンシュタインの怪物の孤独と迫害というエッセンスが大いに取り入れられている。

無責任に生み出され、孤独に追いやられる姿はまさしくだ。

 

最初の場面で「肉体に変化の起きない日数:158日」と出てくるが、職場の工場長の話から彼が働きだして5ヵ月経過したことが分かる。つまり、変身するたびに潜伏地を転々としていることが示唆されるのだ。

望んだわけでもないのに変身してしまうし、騒ぎが起きることは不可避である。安住の地は永遠に訪れず、放浪する事を余儀なくされている。

 

また心拍数が200を超えるとハルクになってしまうので、早い話が恋人とあんなことやこんなことさえできないのである。

人間としての営みからさえはみ出てしまったバナーは、この世界でたった独りの孤独な存在だ。

心拍数に常に気を配っていなければならないから、感情だって殺し続けるしかない。

 

この点がまさにハルクの、ブルース・バナーの物語の魅力だ。

凄く悲しいことだけれど、これらの縮小版であれば体験したことのある人も多いのではないのだろうか。上手くいかずに衝突して居心地が悪くなってしまったり、自分は誰からも愛されないんだと拗ねたり、感情なんていっそのこと無くなればいいと思ったり。

 

それでもバナーは治療して再びベティと一緒になることを望み、懸命に生きている。

ただ暴れるだけの怪物になってしまうのに、どうしたって共感せずにはいられない人物なのだ。

 

怪物+ヒロイン=ロマン

とりあえず怪物ものと言えばヒロインとの交流である。ベティとのやり取りが最高にキュートで、前中が変な涙を流して喜ぶレベルで魅力的だ。

驚く相手に驚いたり、雷を敵だと思ってかばおうと吼えたり、大きく無骨な指でやさしく触れたり、小さく名前を呼んだり。

ベティがハルクに向ける視線も優しく、その姿はバナーに対するときと寸分違わず、ふたりの間にある強い愛情を感じずにはいられない。

ちなみにハルクといえば緑の肌に紫のパンツという姿が有名だが、これをネタにしたシーンがあって前中は爆笑した。

 

気の良いサブキャラたち

本作のサブキャラクターたちはみんな善良で、そういった点でストレスが全然ない。

悪役と言ったら序盤で絡んでくる絵にかいたようなチンピラだけである。

 

追われていると知りながらバナーを匿ってくれる友人のピザ屋の店主や、ハルクがベティを守ろうとしたことに気が付きロス将軍の仕打ちに対して怒るベティの今彼を筆頭に、気前よく車に乗せてくれるおじさんやピザを賄賂にゲートを通らせてくれる気の良い警備員など、愛すべき人々が大勢出てくる。

彼らの行動によって物語はいい方向に進んでいくのだ。

 

やっぱりアクションが好き!

そして本作は意図的にアクションを増やしているので語らないわけにはいかない。

アクションシーンは多種多様でシチュエーションもさまざま。まさにフルコースである。

 

最初のアクションはバナー自身の逃亡劇から始まる。ここが凄くよくて、前中イチオシのシーンの1つだ。舞台は世界最大の貧民窟と呼ばれているブラジルのホッシーニャ。家と家の間に無理やり家を建てたみたいな、異常に密度が高くてダンジョンのような街である。

 

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掲載元:https://www.airbnb.jp/locations/rio-de-janeiro/rocinha

米軍に追われるバナーが、パルクールみたいに建物から建物へと移動したり、土地勘を利用して米兵をトラップに嵌めるように躱す様子は非常に楽しい。

狭い通路を活かした躍動感あふれる画は必見である。

 

またハルクに変身して暴れるという場面が全部で3回出てくるが、それぞれに異なった演出をしているところもいい。

1回目は米兵に追い詰められた工場で変身するが、誰もいない真っ暗な空間に薄っすらと巨体を見せつつ少しずつ相手を潰していく様子が、まるでホラー映画のようでドキドキする。

2回目は大学の広い公園で米軍とファイトするが、今度は米軍側も巨大な兵器を携えてやってくる。正統派モンスター映画的な楽しさがあり、最新鋭の兵器相手に一騎当千のハルクの強さが際立つ。

3回目はついにヴィランとの対戦である。こちらは市街戦で、車や建物を効果的に使って非常に立体的なアクションが展開される。ちなみに技名を叫びながら必殺技を繰り出すという激熱展開もあるぞ!

 

バナーの置かれた立場からしていくらでもドラマ的な作りにできたのに、あえてそうはしかったのだ。

しかしこれには必然性がある。

それは本作が、バナーとハルク、人と怒りについての物語だからだ。



※ここからネタバレ入ります

怒りという感情

注目してほしいのは、バナーがハルクに変身する瞬間にどんな感情を持っていて、どんな動機で戦ったのか、という点である。

 

1回目は、それなりに上手くいっていた日常を突如奪われたことや受けた暴力への怒りや焦りから変身し、感情の赴くままに建物を壊し巨大な機械を持ち上げて投げつけている。

この時のバナーは、単純な怒りに支配されている。

しかし2回目では打って変わって、変身時の彼を支配するのは恋人のベティが傷つけられたという怒りと不安だ。催涙ガスが充満する中、彼の元へ駆け寄ろうとする彼女が引き倒される様子に動揺してガスを吸ってしまい、ハルクに変身する。

そして3回目にしてついに、彼はその他大勢の人々のために変身する事を決意する。

 

怒りには暴力としての側面もあるが、誰かのために立ち上がる原動力にすることもできる。

ハルクに救われたベティは問いかける。

「彼、私のことが分かるみたいだった。制御することはできないの?」

 

重要なのは怒りを押し殺すのではなく、呑み込まれないように向き合い共存することだ。

 

実際中盤で、運転の荒いタクシー運転手にベティが怒りも露わに怒鳴り散らす爆笑シーンがあるが、ストレスによってハルクに変身し兼ねないことを気遣って、彼女は怒るのだ。

この怒りは間違いなくバナーのためのものである。(その形相からかえってバナーは冷静になっているし)

 

強者と弱者

本作には強者と弱者という裏テーマがあると前中は思う。

権力が過ちを犯したとき犠牲になるのは、いつだって弱者である一般市民だ。

 

ロス将軍が軍事力強化と権力獲得のために、超人兵士計画を復活させようとした代償を支払わされたのは、実験の真意も知らない民間人のバナーであった。彼は言ってしまえば被害者なのだ。

なのに彼は事故の責任を負わされ、犯罪者として追われる。

 

しかしだ。

本当に弱者に責任はまったく無いのか?

 

バナーは天才だ。実験の内容を事前にもっと調べていれば、権力者の言いなりにならずに疑っていれば、もしかしたら違う結果になっていたかもしれない。

ヴィランであるアボミネーションだって、バナーが変身の恐怖に屈してスターンズ教授に血を渡していなければ、生まれなかったかもしれない。

確かに悪いのは人を利用しようとする悪意のある者だ。しかし世界は不条理で、力を持たない我々は翻弄されるしかない。

 

そんな中でも立ち向かったか?それでも責任を果たそうとしたか?

この映画は、そう問いかける。

 

今作のヴィランはさらなる力を求めて強欲に溺れた果てにバケモノと化すが、そもそもロス将軍の欲望とバナーの弱さから生まれたといっても過言ではない。

だからバナーは最終戦を前にロス将軍に言う。

「我々は責任を取るべきだ」

 

そしてあれほど恐れていた変身を自らの意思で行うのだ。

 

起きてしまったことに対して、自分は関係ないと心を閉ざすのは簡単だ。

 

でも現実と対峙して、自分のすべきことを考えて、行動したのなら。

たとえ無力でも、勇気を奮い起こして戦ったのなら。

ハルクが人々を救ったように、弱い我々もなにか大きなことを成し遂げられるのかもしれない。

 

インクレディブル・ハルクは、弱者が世界に立ち向かうことを教えてくれる映画だ。

 

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